明日は我が身、か。「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文 を読んだ感想

前半と後半に分かれています。 読んだ感想としては、本人が最後に評している「知性の欠片も感じられない実に酷い文章」だとは思いませんでした。 全般的に、「自分がいかにダメか、生きる価値がないか」について書かれていますが、これほどの文章が書ける人が「生きる価値がない」ことはないだろ、と感じます。 文中で本人がこう総括しています。
10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた
「リア充」や「勝ち組」を目の敵にする気持ちはわからんでもありません。むしろよく分かる。隣の芝生は青く見えますから。その青さを維持するのにお隣さんも苦しんでいることを知らずに。 「お隣さんの苦しみ」はまた違う話なので割愛しますが、こういう事件を起こした犯人の上記のような述懐を聞くと、私はいつも「明日は我が身」と思います。 私と彼(被告人)の何がちがうのだろうと考えると、私は「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごしてこなかった」だけ。「努力して怠けなかった」というとなんかすごい頑張って、現在社会的に成功してる、みたいな誤解があるかもしれませんが、そんなことはありません。あくまでも「現在、私は彼のようになっていない」ということです。 私はコンピュータが好きで、十代半ば頃にはうっすらとその方向に進むんだと思っていました。十八歳で情報処理の専門学校に入り、二十歳でIT業界に就職。紆余曲折を経て現在三十五歳ですこし足踏みしていますが、足踏みしているからこそ、この被告人の述懐はとても心に響きます。「もしかしたら自分も彼と同じことになっていたかもしれない」と。彼と私は同年代ですしね。 「好きなことを仕事にしなきゃよかった」と思ったことも何度もあるし、長時間労働に駆り出されたり、酷い上司を持ったこともあります。それでも好きなことをやっていたし、自分が成長できている実感もありました。そこで出来た大切な人間関係に癒され、続けてこられました。 私には「打ち込めるもの」があってよかったなあと思います。彼との違いはそれくらいしか無いんですから。]]>