「過労死予備軍」と言われていた頃を振り返ってみる。

40歳を過ぎて過酷な労働環境にいた友人達がどんどん病院送りになって http://anond.hatelabo.jp/20140429212420

はてな匿名ダイアリーより

かいしゃでおつとめをしていた、とある頃。かいしゃの偉い人がどこかから「彼(私の事)は過労死予備軍ですよ!」と怒られたらしく。 一体どこから怒られたのかわかりませんが。いつもお世話になっていた会計士さんからなのか、もっと公的な機関からなのか。よくわかりませんが。 その頃、私は月300時間くらいの勤務を約一年ほど続けている最中でした。

SI屋だったので、システム運用の本番が3ヶ月ごとに4本。ある年の1月本番・4月本番・7月本番・10月本番の4本立てでお送りされていたのでした。

だいたい本番3ヶ月前から駆り出されるので、10月から翌年の10月まで丸一年、忙しかったわけですね。 それが「デスマーチ」と言われるとどうなんでしょう? そうなんですかね? 「デスマじゃ〜♪ デスマ〜♪」と自分の口ではよく言うものの、自分がその状況になると「デスマなう」という感覚が薄れるのが私の良いところ(悪いところ?)。

というか、ひどく忙しくてもあまり自分で「デスマ」だと思っていない。

とりあえず、目下の目標のために滅私して事に臨む、というのが私のスタイルでした。

守秘義務とかあるので余り詳細は明らかにできませんが、 「そのシステムはぶっちゃけ、その機能のためにある」 の、「その機能」の部分の開発を受け持っていたのでストレスは結構感じていました。システムのキモだし。運用開始後にここでバグ起こすと結構嫌なこと(いろんな人に訴えられたり新聞に載ったり)になるし。

まあそんなストレスも感じながら長時間労働している最中に、冒頭のように偉い人がどこぞから「過労死予備軍云々」と怒られた事案があったわけですね。まあ、偉い人からは「怒られちゃったよ〜」と言われて、「ああ、そうですか、すんませんテヘヘッ」と、軽めの会話は交わしつつ、偉い人はちゃんと対応の改善を派遣先の会社に申し入れて下さってはいました。

私の会社はSI屋によくある「協力会社」というやつで、私自身は他の会社の指揮命令下にあって仕事の現場も当然自社ではないので、自分の会社が対応の改善を訴えてもそこは他の会社も絡むことなので伝言ゲームみたいになり、実質の改善は難しく。しかも本番までの時間もないし人員を増やしたところでその人員の慣熟を待つ時間もなく。

そんなわけで、 「今いる野郎共で乗り切ろう、エイエイオー!」 ということになるのですね。 その「今いる野郎共」に組み込まれたので年四回の本番を経験するという栄に浴することが出来ました。めでたい。

さすがに四回目の本番の頃は他人から見ても「疲れきっていた」ということですが、自分では相変わらず滅私奉公の気持ちで邁進していたつもりなのですが。ただ、2回目の本番を乗り切った頃から、「あと2回本番を乗り切ったら終わる」という「終わる」という事実を意識しないと頑張れなくなっていました。

そして、「終わった」ら、自分の人生も一緒に終わっちゃってもいいかもな〜、と、考えていました。

当時は「仕事=人生」と言っても過言ではない心持ちで、その仕事が終わったら、そのまんま、もろもろ全部終わっちまっても悔いはないかな、、、と本気で思っていましたね。だいぶ仕事に入れ込んでしまっていたようです。それはそれで病気ですね。    

ま、そういう奴も世の中には居る、という話でしたが。

同じようなデスマーチの境遇・心境にいる人は、デスマーチが終わった後、暇になった時に気をつけてください。 本当に何事もやる気が無くなって、なんか、急に死にたくなったりします。 そうなったら迷わず心療内科に行きましょう。