書評 "天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある"

世の中には 「努力をしても報われない」 という意見と、 「努力をすれば報われる」 という意見がありますが、「どんな努力をすればいいの?」というところが書いてある本です。 それで「努力」しても報われるかはどうかはやっぱり別だと思うんですが。 そもそも「報われる」というのを何をもって報われるとするのか、という問題もあるわけで。 努力すればその方面に関してそれなりの知見が得られるので、それはそれで取っておけば後々自分のためになるんじゃない? というのが私の基本スタンスです。 あ、そんな話ではなく。本の話。 印象的な部分を引用しつつ、自分の「努力観」というよりも、「スキル習得術」を述べていきます。 この本は、入試とか資格試験に向けての「努力」についてが書かれているなぁ、という印象でして、私のように「スキルを身に付けたい」という人向け、というわけではなさそうですが、応用次第でなんとなるでしょう。

第一章 「正しい努力のための方法論」

まず、「努力すること」とは何かについてです。私にとってあることのために努力することは、その何かを「反復・継続」することを指します。 ・・・中略 まず、なんのために「努力するか」、つまり、何を反復・継続するかを見つけ出すことが大事です。
私なんかもこの反復・継続タイプですね。何かをしようとしたら、体が覚えるまで叩きこむタイプ。体を動かす事にしても、頭を動かすことにしても。 一応IT業界に身をおいているので、新しい仕組みを目にしてそれを自分の物にするためには当然勉強が必要なわけですが、まずは最初は参考書なり参考サイトなりを読んで自分でそれを動かしてみる。そして、ひと通り動くようになったら、動かない状態から動く状態になるまでのプロセスを何度も何度も繰り返して体に叩きこみます。
ここでは自分の「得意分野」を測るための指標を使いたいと思います。ビジネスにおいては求められるのは、「アウトプットする力」です。そして、精度の高いアウトプットをするためには、必ず「インプットする力」を組み合わせる必要があります。「インプットする力」としては「読む」ことと「聞く」ことがあげられ、「アウトプットする力」としては、「書く」ことと「話す」ことがあげられます。
自分の苦手なことは捨てて、得意な分野で努力しましょう、と言われてます。 その得意な分野はたいてい「読む」「聞く」「書く」「話す」のうちどれかに分けられるので、得意な部分を伸ばしましょう、と。 で、不得意なことばかりに囲まれている人には、
「なんとか努力をして克服しよう」と思うよりは、別の得意なものを見つけに今の場所から移動することを考えてみたほうが賢明なのではないかと思います。
あら、ざっくり。 最近良く目にする論調ですね。私も同感です。 私の場合は昔からコンピュータが好きで、さっさとコンピュータ業界に飛び込んでしまいましたが、コンピュータをしてなかった自分なんて想像できません。今頃ニートでもしてたんじゃないですかね。 得意か、と言われるとよくわかんないですが、好きなのは確かですね。 好きこそものの上手なれ、の言葉通り、とりあえず今のところ人生を歩んでいます。
私は東大を首席で合格しました。これは、テストで1番を取った結果ではありません。そうではなく、成績で「優」を撮り続けた結果なのです。 1番を取るというのは、非常に狭いゴールを狙うことです。一方、実は東大を主席で卒業するというのは、常に上位3分の1に入るという目標を達成し続けただけなのです。
そうなんだ。「首席」って言うから常に1番なのかと思ってました。 確かに「1番をとる」よりは「上位3分の1に入る」ほうが頑張れそうな気がしますね。
コンスタントにこの上位3分の1に入り続けることを目標にすると、評価や結果は自ずとついてきます。そして、上位3分の1に入ることは、努力で勝ち取れる、「努力圏内」の目標なのです。
「一番になる」ことに対して発破をかける本ではありません。

第二章 「努力を始めるための方法論」

次いで、重い腰を上げるための方法論です。
私は、昔から切羽詰まってから何かをやり始めるタイプでした。なので、始めた時点では周りの人より1歩も2歩も後ろにいることも多く、「私にはできない!」と感じる機会が多かったのです。 最初に就職した財務相には、ものすごく仕事のできる人がたくさんいましたし、法律事務所でも、ものすごく頭の回転が速い人がたくさんいます。 そういう優れた人だらけの環境の中で劣等感にさらされたからこそ、努力をすることができたといえます。 「できなさ」を実感するための良い方法は、謙虚になることです。謙虚になるというと倫理的な話だと思われそうですが、自分をさらにステップアップさせるための「戦略的な謙虚さ」が必要です。
「自分はできない!」と思う経験はたくさんの人がお持ちだと思いますが、その「できない」をバネにして「できるようになる」と思うこと、それを継続することが大切でしょう。 ただ多くの場合、「できない!」で諦めてしまうんでしょうね。私も多分にしてそうですが。 ただ、「できるようになりたい!」と思い立って何ぞの参考書を買ってきてそれに打ち込むんですが、疲れちゃってやめちゃうことが多いんです。その辺りについて、このように書かれています。
いまは、一度読んでわからないことに対して、なんとも思いません。一読しても頭に入って来ないことのほうが、私も多いです。なんとなくこんなことが書いてあったということが抽象的に分かる程度です。 しかし、全く気にしません。 一度で理解しなければと思うと、一生懸命読まなければいけないし、前のページに戻ったりしなければいけない。そうすると、読むのに時間がかかるし、必要以上に頭を使って疲れるだけになってしまいます。
私もまさにこれ。
ただ、理解しなければと思うことを一切しないで、「ふーん」とページをめくり続ければどうでしょうか。
そもそも本なんて一回読んだくらいで(小説とかは除く)理解できるものじゃありません。 最初は全体をざっくり掴んで、自分の興味のある部分とかをつまみ食いしつつ、他の部分にも理解を広げていくのがいいんじゃないでしょうかね。
目標はとりあえず素通しで7回読んでしまうこと。これくらい読めば、見慣れた記述に、どんどん親近感が湧いてきて、読書が楽なものになっていきます。
7回も読まんでもいいとは思いますが、本当に7回読んだら殆どの部分は頭に入ってるんじゃないですかね。つまり、それだけ反復・継続しろ、ということを言っています。 私にとって、この本はこの部分が大変共感出来ました。素通しで7回も読みはしませんが、頭に叩き込みたい章とかは何度も何度も読みますね。それこそ暗唱できるくらい。  

第三章 「努力を続けるための方法論」

いろいろと方法論が書かれていますが、、、私にとっては続けるためには、「それを好きになっちゃう」のが一番ですね。 いや、そもそも私の場合、好きなことしか(興味のあることしか)勉強しようとしないのでそれが可能なんでしょうが。 好きになったら色々と知りたくなるじゃないですか。人間でもそう。
努力をしていることそのものも、他人にカミングアウトしてしまいましょう。 幸いなことに、日本社会は、「努力したこと」そのものを評価してくれます。努力をした結果、目標が達成できなくとも、「よく頑張った」というねぎらいの言葉をかけてもらえます。人間は努力している人にとても優しいのです。
最近はSNSで努力している過程を見せることもできますしね。私もStudyplus(http://studyplus.jp)というSNSを使って勉強過程を記録していますが、Twitter連携とかFacebook連携とかもあります。 自分が〜時間勉強した、という記録に「いいね」してくれると、そんなに悪い気はしないもんです。 本書では「ライバルを作る」という部分で、ちょっとSNSに触れています。 SNSだと自分の行動を公開するだけでなく、他人の行動もタイムラインで見られますからね。 Studyplusでも、友だち申請をそこそこの数しておけば、「いつも勉強してるあの人」ってのが1人や2人は出てきます。そんな人をみて、自分を奮い立たせる、という手段もアリでしょう。

第四章 「努力を完遂するための方法論」

「努力を続けるためのTips」的な章ですね。 朝はやく起きて勉強してみる、とか、たまには場所を変えて勉強してみる、とか。そういうことが書いてあります。 人間なんてちょっとした事でやる気が出たりするもんですからね。 「頑張ってるんだけど疲れちゃって・・・」という人は、ここに書いてあるTipsの一つでも実行してみたらいかがでしょうか。

まとめ

この本の割りと最初のほうで「完璧主義者でないほうがよい」旨が書かれています。 完璧な人になろう、という本では無いので。 Tips集的な第四章でも、 「抜け道を作る」
「(友達に対して)みずから遊びを提案してはいけない。また、人の誘いは2度までは乗ってはならない」
つまり、3度目は良し、と(笑)。 その代わり、その抜け道の理由を正当化する。
人生においては、勉強も大事ですが、人間関係も大事にしなければなりません。だから、3度も誘ってくれる友達の友情には、なにをおいても応えるべきだと思います。 ここでは、「人間関係を大事にする」というのが、正当化理由です。
なんともセコい(笑)方法論ですが、本当に勉強しか生きがいが無い人ならともかく、普通の人なら友情にだってそれなりのリソースを割くべきでしょう。友情にも勉強にもリソースを割きたいひとは、何かの強迫観念みたいなものにかられて勉強に多くのリソースを割き、友人の誘いを断り続けていると、その断っていることがストレスになっちゃうんですよね。 そこに抜け道を用意してあげる。それだけでも自分的には納得できるでしょうね。相手が遊び人だったらまだまだ不満でしょうが。 私、この著者の方ってよく知らないんですが、よっぽど「天才」「完璧主義」とか外野から言われていたんでしょうか? 私がそういうステレオタイプな見方をこの著者にしていると仮定したら、この本を書いたひとはずいぶんと人間臭い、「俺らといっしょやんけ」という感想を持ちました。   よしこれで俺も天才になれる(違 ]]>