【歴史の楽しみ方】城を攻めましょう。(脳内で)

※お城を攻める話は下の方になります。上の方は稲武近辺のお城の宣伝ですw
お城が好きです。
姫路城みたいな大城郭もいいですが、山城の方が好きです。
稲武近辺はいろいろな山城がありますよ。少々ご紹介しましょう。

- 我が街稲武の中心に鎮座する「武節城」(上掲の写真の黄色い丸のところ)
- 今では「城山」(しろやま)として城址公園として整備されています。
- ほんの少し、曲輪の跡とか土塁の跡とか遺構は残ってますが。
- 私の旧職場のいなぶ観光協会が力を入れてPRしております。
- 御城印もありますよ。季節限定で5季節(初夏バージョンがあります)
- 裏面が屏風絵になっていまして、5種類並べて一枚の「屏風絵」になるという仕組み。
- 「御城印帳に貼りたいから裏面があるのは困る」という声も少々あるようですが
「一枚じゃ足りないなら、二枚買えばいいじゃない(マリー・アントワネット)」
- 「御城印帳に貼りたいから裏面があるのは困る」という声も少々あるようですが
- ぜひ全て集めて悦に入っていただきたい。
- 裏面が屏風絵になっていまして、5種類並べて一枚の「屏風絵」になるという仕組み。
- 今では「城山」(しろやま)として城址公園として整備されています。
- 「川手城」
- 「押山城」
- 「夏焼城」
稲武地区ではこの四城の御城印が発行されております。
特に武節城は「武田勝頼(だったかな、信玄だったかな?)を【ある策】で退けた」という伝説もありまして、ぜひ現場においでになって調べてみてください。
稲武地区以外だと南には
- 田峰城
- 長篠城
- 長篠・設楽ヶ原の合戦が行われたところですね。
- 最近は新東名の「長篠設楽原PA」内に「設楽が原の合戦・信長の本陣」が整備されておりまして。
ちょっとした高台になっておりまして登ることもできます。まあ現在は山頂は木で囲まれちゃってますが、ここであの合戦当時、信長が采配をとっていたと思うと感慨もひとしおです。高速を通ってなくても一般道から入れますのでぜひいかれてください。
- 合戦に大敗して敗走してきた武田勝頼は田峰城を頼り、門前払いをくらい、武節城に敗走してきて一命を取り留めた、という話です。
- その辺りが詳しく書かれているパンフレットが「いなぶ観光協会・観光案内所」および「どんぐり工房」で配布されていますので、ぜひお求めくださいませ。
- 最近は新東名の「長篠設楽原PA」内に「設楽が原の合戦・信長の本陣」が整備されておりまして。
- 長篠・設楽ヶ原の合戦が行われたところですね。
北に行けば
- 岩村城(日本山城百選(確か))
- 明智城
- 小里城
- 神篦(城
- 苗木城
- この城はいい。地形や縄張りがとても美しい(個人の意見です)
東濃はお城、まだまだありますのでこちらをどうぞ
https://akechi-mitsuhide.jp/higashimino-castles/
宣伝はここまで。
では、城を攻めます。(脳内で)
城の防御機構は色々とありまして。
- 濠
- 土塁
- 櫓
- 虎口
- 枡形虎口(凶悪)
- 狭間
- 門
- 石垣
- 石落とし
山城と平城の防御機構がごちゃ混ぜですが、こんなんがあります。多分細かい防御機構はもっとあります。
一つ一つの紹介は割愛しますので調べてみてください。
まず、山城を攻めてみましょう。
山城を攻める上で、「嫌だなー」ということを列挙していきましょう。
- そもそも山を登ってる途中で死ぬ。
- 一度岐阜城を麓から足で登ってみようと思いましたが、途中で撤退しました。疲れる。
- 今ならロープウェイから攻められます!
- 名古屋から国道22号線で岐阜に行くと途中から岐阜城見えてきますよね。
小学生の時に初めてあの城をみた時、「絶対攻めたくねえ」と思いました。
- 外部から攻めてきた人は山の地形とか多分わかんないので、登ってる途中で伏兵に槍で突かれて死ぬ。
- だから寄せ手は地元民とかの協力を得るとか、信長公は軍師の竹中半兵衛の「策略」で陥しましたね。
- 上から石を転がされて死ぬ。風雲たけし城ですらなかなか攻められませんでしたよね。
- 土類とか城壁・門で足止めされているところで槍とか弓で死ぬ。
- 一度岐阜城を麓から足で登ってみようと思いましたが、途中で撤退しました。疲れる。
普通に「山にある」ってだけで大変です。まー多分、死にます。攻めたくないです。
次は平城を攻めてみましょう。
次は平城の名古屋城を攻めてみましょう。
山に建っている城ではなく、平地に立っているので、「平城」(ひらじろ)と言います。
今でこそこんな感じで、どこにでも行き放題な感じですが

当時は↓のような構えを備えていました(縄張り)と言います。
(このページに貼り付けちゃうのは権利的なやつで憚られるので、リンク先を見ながら攻めてみましょう。)
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/learn/construction/nawabari/
これ、見るからにヤバいんですよね。さすが御三家の居城。
・本丸
・御深井丸
・西の丸
・二の丸
・三の丸
という各曲輪(くるわ)と呼ばれる区画は堀で隔てられており、各曲輪の出入り口に四角いところがあると思うんてすが、これ全部「虎口」で、おそらく「枡形虎口」だったと思います。本丸からは「馬出し」という防御機構もありますね。(大阪城の真田丸も馬出しの一種。)
昔金沢城に行った時にまず正門の枡形虎口に入ったんですが、
枡形虎口はルートとしては「真っ直ぐ場内に入れる」ようになっていなくて、「入って左右どちらかの90度の方向に門がある」ので、「真っ直ぐ」一気に軍勢がなだれ込むことができません。
しかも門が強固。ここでワーっと入ってきた軍勢が足止めを喰らって、門を破ろうとしているうちに城壁の上の銃眼やら何やらから鉄砲や弓で射られ放題で死屍累々です。
第一陣が全部死んで死体がそのあたりに転がってる状態で、寄せ手は第二陣を突っ込ませますが、足元に死体が転がってるので歩きづらい上にまた鉄砲や弓で射られ放題。さらに死屍累々。
嫌ですねえ。
江戸幕府が発布した「武家諸法度」で「幕府に無断で城の改修をしたら改易」と定めたのもわかる気がします。
地方大名に勝手に防御機構なんぞつくられたらいざ謀反が起きた時に簡単に滅ぼせなくなりますのでね。
有名どころだと勝手に広島城を改修した福島正則なんかがいますね。
名古屋城攻めに戻ります
名古屋城攻めの最大防御点はおそらく西の丸と二の丸だったんじゃないかと思います。
籠城時は三の丸で食い止められればよし、もし三の丸で食い止められなかったら、本番防衛は二の丸と西の丸の防御だったでしょう。戦略的に三の丸は放棄して、三の丸の物資・兵を二の丸と西の丸に集めます。
昔名古屋城に行ったことがあるんですが、そのころは城=かっこいいくらいの認識でしたので、二の丸と西の丸の虎口はあんまりしっかりみてなかったんですよね。非常に悔いている次第でございます。
寄せ手はまた上記の通り、枡形虎口で死にます。
よし、堀を渡ろう。
甲冑をつけたまま? 沈んで死にます。
レーザー・レーサー(古!)に着替えて泳いで行こう! 泳いでいるうちに弓と鉄砲で撃たれて死にます。
うまく城壁に取り付いた!
空壕(水のついてない堀)だったかもしれませんが。
城壁に取り付いたところで、上から石とか煮えた油とかうんことかをぶっかけられて落とされます。その後射られて死にます。
うんこまみれで死ぬのは嫌ですねえ。
二の丸はGoogle Mapでちょっと小さめに測定してみると、200m * 200mくらいあります。広いですね。ここに物資と兵士が山盛りになってるはずです。西の丸も100m * 50mくらいはありそうです。兵士・弓矢・鉄砲・火薬・銃弾、満載でしょうねー。御三家の居城ですから。
そもそも名古屋城で籠城戦はなかったので全部私の妄想ですが、実際に籠城戦になったら、二の丸西の丸までは抜けなかったと思います。
そこまで抜けても、多分攻め手は兵力も大きく損なって士気も大きく削がれていたことでしょう。
本丸には大阪城で散々攻め手を苦しめた「馬出し」もありますし(真田丸みたいなやつ)
本職の武士ならともかく、兵卒は農民だったりしますので、例えば同じ村から徴兵された友達がバタバタ死んでいったらどうです。やる気なくすどころか逃げたくもなりますよねえ。
と、いうことで、城攻めは嫌です、という話でした。
違う違う。
御城印集めも楽しいし、城も格好いいですが、実際に「自分だったらどうやって攻めるか」というような脳内遊びをしてみましょう、という話ですね。
そりゃ備中高松城みたいに水攻めしたくもなりますよ。のんびり待ってれば勝手に陥ちますからね。
その代わり、水責めされてる側は地獄ですよねえ。
「難攻不落」と言われている城の周りの地形を少し広い目で見ると、自然の「川」を堀に使っていたり、本当に「城」は周囲の地形も含めて考えられて築城されています。
大阪城も一度は徳川の大群を退けています。その後で策略で堀を埋め立てられたりして、やっと攻め落とせたわけでして。
本気の大阪城はどんなだったか、可能であればタイムマシンで見にいきたいものです。
以上、よろしくお願いいたします。