岐阜県恵那市明智町を訪れて、大河ドラマのおさらいをしましょう。

※↑新発売された明智光秀と母お牧の方の武将印の情報は下の方にありますよ。
私の小噺はどうでもいいかたは下をタップ。

■■どうでもいい話は飛ばす■■


天正10年 6月 2日 本能寺の変当日。

確かあの日は私は相変わらずブラック企業で前日から徹夜で窓もないサーバールームに缶詰にされていました。

終電を逃した皆が自分の机でうとうとしていた2日の早朝、スマホの一斉メールで
「織田信長公・謀反により討死!」
という報に接したのでした。

あの時はサーバールーム全体がどよめいて、

「謀反だとぅ!」
「羽柴か! 柴田か!?」

「こうしてはおれん! 俺は京に向かう!!」

という怒号がまきおこ、、、とかいうホラ話は置いといて。


大河ドラマ、終わりましたね。2/7日。

予定通り、織田信長公は討ち死にされました。信長公大好き人間としては毎回ホゾを噛んでおる次第です。

あ、実は私今年の「麒麟がくる」は見てないんですが、多分討ち死にされましたよね信長公?。討ち死にされないと話進まないっすもんね。

たまには信長公が討ち死にしないドラマが見たいですマジで。


ドラマは終わってしまいましたが、地元はまだまだアツいですよ

諸説ありますが、光秀の出生地であるとされる岐阜県恵那市明智町では、まだまだ盛り上がっております。

大河ドラマの放送延長・緊急事態宣言発出等で「大河ドラマ館」がいつまで開館されているのかちょっとわかりませんが、下記公式HPでは2/14日で閉館となっています。緊急事態宣言もあったんだし、もう少し延期してもらえればいいと思うんですが、

https://akechi-mitsuhide.jp/taiga-drama-hall/

大河ドラマ館を目指して行かれる方は要確認です。私に聞かないでね。

今年はイレギュラーなことがたくさんあって参っちゃいますね。


明智町は大河ドラマ館だけではありませんよ

明智町といえば「大正村」。そちらの「大正浪漫亭」では、浪漫亭限定の明智光秀関連商品が目白押しです。

大正ロマン亭へのリンク
http://romantei.ena-gifu.com

「明智光゛秀」は現物見ましたが、笑いました。ペットボトルの水です。「あけちみずひで」と呼びますw

下剋上をやらかそうと計画しておられる方は、ぜひ出陣前にこの水を飲んで本懐を果たしてください。多分、三日後に討たれると思いますが。

しかし、素晴らしいセンス。
どうやら、明智町にすごいアイデアマンだったかアイデアウーマンがおられるようで、どんどん新商品を開発されているようです。


明智付近ならではの御城印もたくさん

岐阜県は一時信長公が岐阜城を本拠にしてにいたこともあったり、西濃も東濃も交通の要所であったことから、お城がたくさんありますので御城印もたくさんあります。
一つ一つご紹介していると紙面が足りなくなりますので(ブログなのに?)、以下をご覧くださいませ。

岐阜の御城印巡り
https://www.kankou-gifu.jp/article/gojoin/top/

東美濃の山城
https://akechi-mitsuhide.jp/higashimino-castles/

東美濃だとやっぱり岩村城の城壁の遺構は素晴らしい。

あと、苗木城も素晴らしいですね。他は行ったことない。

山城で言うと、個人的には、岐阜城と苗木城は攻めたくないです。山登るの疲れるし。ハァハァ言って登山している間に上から石を転がされたり、槍で突かれたりするの絶対に嫌。

平城だと、やっぱり有名な松本城とかは攻めたくない。
石垣登ってると上から煮えた油とかうん◯ことかが降ってくるし、一人くらいしか入れんような狭い入り口から入っていこうとすると100%槍で突かれるし。

「自分がこの城を攻めるとしたら」みたいな観点からも楽しめますのでお城は素晴らしいと思います。城攻めは別の記事で書きたいと何年も思っています。思っているだけ。


アンカー

武将印も発売されました。

第一弾が去年の半ばごろに発売されました。明智光秀の武将印ですね。

そして、大河ドラマで石川さゆりさんが演じられた光秀のお母さんの
「お牧の方」
の御命日、昨年の11月29日に、新しい武将印が発売されましたのでご紹介。

ウィスキーが、お好きでしょ、もうすこーし、しゃべりましょ。

こちら、明智町の「大正浪漫亭」さんと、明智町の雑貨屋さん「布花」さんで販売されています。(一枚400円)

私【よろづシステムズ】もちょっとだけ制作に参加させていただきました。

デザイナーは【とよぞーアート工房】さん
https://www.facebook.com/kasaderaartkoubou/

素晴らしい出来です。

明智光秀の「武将印」と
お牧の方の「オカン印」
の両面仕様です。

お牧の方が佇んでいる大木と碑は実際に明智町のお牧の方の墓所にあるそうです。

お牧の方の墓所
https://www.kankou-gifu.jp/spot/5830/

建立当時は「謀叛人の母」という誹りを受ける世情もあったようで、碑には「南無阿弥陀仏」とだけ書かれているそうです。隣の大樹は「高野槙」。「お牧」の方にちなんで「槙」を植えたのだそうです。

それを知った上で、お牧の方のオカン印を眺めてみると、また違う感慨が湧き上がってくることでしょう。戦国時代は本当に、苛烈な時代だったのだなあ、と思います。

華々しい「勝者の歴史」を学ぶのも楽しいものですが、その裏にある「敗者の歴史」を学ぶのも、あなたの造詣を深める一助となりましょう(誰だ俺は偉そうに

戦国時代はやはり「武将」がメインになってきますが、奥さんとかオカンとかのこともちょっと深く調べてみると、楽しいですよ。

まず初めは浅井三姉妹あたりから入るのがよろしいでしょう。誰の子で、どこに嫁いだのか、どんな生涯を送ったのか、そしてその子孫たちはどういう系譜を辿ったのか、等々、興味はつきませぬ。

お越しの際は緊急事態宣言が解除されたとはいえ、

ソーシャルディスタンスをとる
マスク着用

お願いいたします。